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Daron Acemoglu

Daron Acemogluをめぐる批評・深掘り記事。

「豊かさ」を経済の外側から説明する

ダロン・アセモグルの研究を貫く問いは、単純化すれば「なぜ、同じような人間が暮らす社会でも、ある国は豊かになり、別の国は停滞するのか」である。ただし彼の特徴は、その答えを資本蓄積、教育、技術革新といった経済変数だけに求めない点にある。むしろ問いを一段さかのぼらせ、「なぜ、ある社会では投資や革新を促す制度が成立し、別の社会では成立しないのか」を考える。

この問題設定によって、経済発展は政治の問題になる。所有権、法の支配、選挙、国家能力、市場への参入機会といった制度は、社会全体の利益を最大化するよう自動的に設計されるものではない。既得権を持つ集団と、それに対抗する集団との力関係から形成される。アセモグルにとって重要なのは、悪い制度が「非効率だから残っている」のではなく、**誰かにとって利益になるから残りうる**ということである。

この政治経済学的な視点は、ジェームズ・A・ロビンソンやサイモン・ジョンソンとの共同研究を含む長年の研究の中心にあり、2024年にはアセモグル、ジョンソン、ロビンソンの3人が「制度がどのように形成され、繁栄に影響するかについての研究」によりノーベル経済学賞を受賞した。

制度は結果ではなく、政治闘争の産物である

アセモグルとロビンソンの『Economic Origins of Dictatorship and Democracy』(2006年)は、民主主義や独裁を理念や国民性の問題としてではなく、異なる集団間の分配対立としてモデル化した著作である。民主化は支配層が突然民主主義を信奉した結果とは限らない。社会的不満や革命の脅威が高まり、既存の支配層が将来の再分配を約束するだけでは信用されないとき、政治権力そのものを広く配分することが妥協として選ばれうる。逆に民主政治のもとで再分配への圧力が強くなれば、富裕層や軍部が権威主義への回帰を支持する可能性も生じる。

ここで重要なのは、民主主義を歴史の終着点とみなしていないことだ。政治制度は、所得分配、集団間の組織力、暴力の可能性、将来への期待によって変化し続ける。この発想は、その後の一般向け著作にも残る。

2012年の『Why Nations Fail』では、議論は「包摂的制度」と「収奪的制度」という、より理解しやすい言葉に整理された。政治権力や経済機会が比較的広く分散し、新規参入、投資、技術革新が可能な制度は長期的繁栄につながりやすい。一方、少数のエリートが権力を独占し、多数から資源を吸い上げる制度では、短期的成長は可能でも、その成果を脅かす革新を支配層自身が抑圧しやすい。

ただし「包摂的なら成長し、収奪的なら衰退する」という標語だけを読めば、アセモグルの議論は循環論法に見える。良い結果を生んだ制度を後から「包摂的」と呼んでいるだけではないか、という疑問である。彼の研究の本当の焦点は、この二分類そのものよりも、**制度を生み出す政治的力関係がなぜ持続し、どのような衝撃によって変化するのか**にある。

歴史を「自然実験」として読む方法

アセモグルの影響力を理解するには、主張だけでなく方法を見る必要がある。代表例が、アセモグル、ジョンソン、ロビンソンによる2001年の論文「The Colonial Origins of Comparative Development」である。

彼らは、植民地期のヨーロッパ人にとって死亡リスクが高かった地域では大規模な定住が難しく、現地から資源を取り出すための制度が設けられやすかったのに対し、定住に適した地域では入植者自身の財産を守る制度が形成されやすかった、と考えた。そして植民地期に形成された制度の違いが長く残り、現在の所得水準にも影響しているという因果関係を推定しようとした。

これは制度と所得の単なる相関から一歩進み、「豊かな国だから良い制度を持てるのではないか」という逆方向の因果を切り分けようとした試みだった。歴史的出来事から外生的な変動を探し、現代の経済格差を説明するこの方法は、開発経済学や政治経済学に大きな影響を与えた。2024年のノーベル賞が評価したのも、この制度形成と長期的繁栄を結びつける一連の研究である。

しかし、この研究は同時に激しい論争を生んだ。デヴィッド・アルブイは、入植者死亡率データについて、対象国自身の観測値がない国に別地域の数値を割り当てている点などを問題視し、結果の頑健性を批判した。アセモグルらもこれに反論している。

またジェフリー・サックスらは、感染症、気候、海へのアクセスといった地理的条件には、制度を介さない直接的な経済効果もあると主張した。 『Why Nations Fail』をめぐっても、ジャレド・ダイアモンドは制度の重要性を認めつつ、地理的要因を退けすぎていると批判している。

したがって、アセモグルの研究から得るべき結論は「地理は無意味で制度だけがすべて」という単純なものではない。むしろ重要なのは、制度を測定し、その因果効果を識別すること自体が非常に難しいという点である。

『The Narrow Corridor』で変わったもの

2019年の『The Narrow Corridor』では、アセモグルとロビンソンの関心は「豊かな国を作る制度」から「自由を維持できる政治秩序」へと広がった。

ここでは強い国家そのものが善とはされない。国家が弱すぎれば暴力や私的権力を抑えられず、強すぎれば社会を支配する。自由が成立するのは、国家が十分な能力を持ちながら、市民社会も国家を監視し対抗できる狭い領域だという。国家と社会が互いに能力を高めながら均衡を維持する動態が重視される。

これは『Why Nations Fail』の単純な「包摂/収奪」図式に対する自己修正として読むこともできる。問題は制度の有無だけではなく、国家と社会の相対的な力が時間とともにどう変化するかだからだ。

もっとも、射程を広げたことで曖昧さも増した。アビナッシュ・ディキシットは同書について、壮大なテーマと豊富な歴史例を評価しながらも、多くの未解決問題を残していると指摘している。 世界史の事例を一つの枠組みに配置する説明力と、複雑な歴史を都合のよい例へ還元してしまう危険は表裏一体である。

技術論でも中心にあるのは「権力」である

2023年の『Power and Progress』では、サイモン・ジョンソンとともに技術革新へ対象を移した。しかし問題意識は大きく変わっていない。

技術進歩が自動的に社会全体を豊かにする、という見方を二人は採らない。どの技術が開発され、誰の仕事を補完し、誰を置き換え、利益が誰に帰属するかは、企業、労働者、政府などの力関係によって決まる。技術の方向そのものが政治経済的に選択されるという発想である。

近年のアセモグルがAIに対して慎重なのも、この延長線上にある。彼はAIそのものを拒否しているのではなく、人間の能力を補完する技術と、単に人間を自動化によって置き換える技術では、雇用や生産性への効果が異なると論じている。MITも、彼の技術研究がロボットによる雇用への影響からAIの経済効果まで広がっていることを紹介している。

そして2026年の単著『What Happened to Liberal Democracy?』では、この制度論と技術論が自由民主主義の危機というテーマに合流する。同書は2026年8月11日に刊行され、自由民主主義の支持を回復するには、民主的手続きだけでなく、広く共有される繁栄、地域社会の力、労働者が技術変化から利益を得られる経済秩序が必要だという方向へ議論を進めている。

アセモグルをどう批判的に読むか

アセモグルの最大の功績は、「市場か政府か」という古い二項対立から経済発展論を引き離したことにある。市場を機能させる制度も、政府の能力も、その背後にある政治権力の配置から説明されなければならない。技術革新でさえ中立的な外生変数ではない。この視点を共有すれば、独裁、民主化、格差、植民地主義、AIを一つの政治経済学として考えることができる。

一方で、その説明力の広さこそが弱点にもなる。「制度」「権力」「包摂」といった概念は非常に多くの現象を説明できるため、何が起きても事後的に理論へ組み込める危険がある。歴史的事例の選択、地理や文化や人的資本との因果関係、制度を数量化する方法については、今後も論争が続くだろう。

代表著作を読むなら、『Why Nations Fail』だけで判断しない方がよい。まず同書で制度論の直観をつかみ、その後『Economic Origins of Dictatorship and Democracy』で背後にある分配対立のモデルを見る。次に『The Narrow Corridor』で国家能力と社会の力の動的均衡へ議論が広がる過程を追い、『Power and Progress』で同じ問題設定が技術と労働へ応用される様子を読む。さらに『What Happened to Liberal Democracy?』まで進めば、アセモグルの研究が最終的に「制度が成長を生むか」という問いから、「技術と政治をどのように組み合わせれば自由と共有された繁栄を維持できるか」という問いへ拡張されてきたことが見えてくる。

アセモグルを読む価値は、彼の答えをそのまま受け入れることではない。豊かさ、民主主義、技術進歩を自然発生的なものと考えず、その背後で**誰が制度を決め、誰が利益を得て、誰が変化を阻止できるのか**と問い直すことにある。その問いを経済学の中心へ持ち込んだことこそ、彼の仕事の最も持続的な影響である。

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