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author / Yuval Noah Harari

ユヴァル・ノア・ハラリ

歴史学を背景に、長期人類史と現代社会を一般読者に結び付ける著者。

ユヴァル・ノア・ハラリの著作が広く読まれてきた理由は、歴史上の出来事を詳しく説明したことだけにはない。彼が繰り返し扱っているのは、「人間はなぜこれほど大規模な社会をつくれたのか」「私たちが当然だと思っている国家、貨幣、宗教、企業といった制度は何によって成立しているのか」「科学技術が人間そのものを変え始めたとき、自由や平等はどうなるのか」といった大きな問いである。

その特徴は、専門研究を細部まで積み上げるというより、歴史学、生物学、経済学、心理学、情報技術などの知見を横断し、巨大な物語として組み直すことにある。この方法は非常に強力である一方、ハラリをめぐる批判の多くも、まさにそこから生まれている。

ハラリが一貫して問い続けているもの

ハラリの代表作を通して見えてくる中心的な問題意識は、「人間社会を成立させているものは何か」という問いである。

『サピエンス全史』では、この問いが過去に向けられる。ホモ・サピエンスは身体能力だけを見れば特別に強い動物ではない。それにもかかわらず、なぜ地球規模で社会を形成する存在になったのか。そこで重要な役割を与えられるのが、多数の人間が共有できる物語や制度である。

国家、貨幣、宗教、法律、企業などは、石や樹木と同じ意味で自然界に存在しているわけではない。しかし、多数の人間がそれを信頼し、その前提に従って行動することで、非常に大きな社会的効果を持つ。この意味でハラリは、人間を「虚構を共有することで大規模協力を可能にした存在」として描く。

重要なのは、ここでいう虚構を単なる「嘘」と理解しないことである。貨幣が虚構だから価値がないという意味ではない。むしろ物理的実体とは異なる次元で成立している制度が、人間社会を動かす強力な現実になるという議論である。

この視点は、その後の著作にも形を変えて残り続ける。

『サピエンス全史』から『ホモ・デウス』への転換

『サピエンス全史』が「人間はどのように現在の位置まで来たのか」を問う本だとすれば、『ホモ・デウス』は「その人間が次に何をしようとしているのか」を問う本である。

ここでハラリの視線は歴史から未来へ移る。

近代社会は、科学、資本主義、国家制度などを通じて、飢餓、感染症、暴力といった問題を一定程度制御してきた。もちろん、それらが解決されたという意味ではない。ハラリ自身の議論も、世界から戦争や貧困が消えたと主張するものではない。重要なのは、人類がそれらを不可避の運命ではなく、技術や政策によって対処可能な問題として扱うようになったという変化である。

そこから彼は、人類の新しい目標として生命の延長、幸福の操作、人間能力の強化などを考察する。

しかし、ここで問題が反転する。人間が世界を制御する技術を獲得するほど、その技術によって「人間とは何か」そのものが変化する可能性が出てくるからである。

人工知能や生命工学によって、人間の判断、感情、身体が分析・操作できるようになったとき、近代社会が前提としてきた「自由な個人」という像は維持できるのか。『ホモ・デウス』で重要なのは未来予測の的中率より、この問いそのものだろう。

「人間中心主義」への疑い

ハラリの著作をつなぐもう一つの重要なテーマが、人間中心主義への疑いである。

近代社会では、人間の感情や選択が特別な価値を持つという考え方が強い。「自分自身の気持ちに従う」「有権者が選ぶ」「消費者が選択する」といった制度や価値観は、自分について最もよく知っているのは本人だという前提に支えられている。

ハラリは、脳科学、行動科学、情報技術などを参照しながら、この前提が技術的に揺らぐ可能性を論じる。

もしアルゴリズムが、本人よりも正確にその人の健康状態、政治的傾向、消費行動、場合によっては感情まで予測できるようになれば、「本人が選んだから正しい」という近代的な考え方はどこまで維持できるのか。

ここでも、アルゴリズムが実際に人間を完全に理解できるという事実が確立されているわけではない。むしろハラリは、その可能性を極端なところまで押し進めることで、現在の制度が何を前提として成立しているのかを見せようとしている。

『21 Lessons』で変わった問い

『21 Lessons』では、議論の時間軸が再び変化する。

『サピエンス全史』が過去、『ホモ・デウス』が未来を扱ったのに対して、『21 Lessons』では現在進行中の問題が中心になる。人工知能、雇用、ナショナリズム、宗教、移民、教育、政治的な情報操作などが取り上げられる。

そのため、この本では前二作ほど一つの巨大な歴史物語が前面には出ない。その代わり、「急速に変化する社会のなかで、人間はどのように判断すればよいのか」という問題が強くなる。

三冊を連続して読むと、ハラリの関心が単純に歴史から未来へ移ったのではないことがわかる。

過去を説明することによって現在の制度を相対化し、未来を想像することによって現在の前提を疑い、現在の政治や技術を考えることで、その問題を個人の判断へ戻しているのである。

ハラリの方法――巨大なスケールで比較する

ハラリの文章の最大の強みは、時間と分野を大きく飛び越える比較にある。

狩猟採集社会から農業社会、帝国、宗教、資本主義、科学革命、人工知能までを一つの議論の中につなげる。そのため読者は、普段は別々に理解している現象の間に共通構造を見いだすことができる。

たとえば企業、国家、宗教を「多数の人間が共有する制度的な物語」という観点から並べると、それぞれについて個別に学んでいるだけでは見えにくい特徴が浮かび上がる。

これはハラリの著作の大きな知的価値である。

しかし、同時に最大の弱点でもある。

歴史学では通常、時代、地域、資料条件によって慎重に区別する必要がある。同じ「帝国」「宗教」「市場」と呼ばれるものでも、その性質は大きく異なる。それらを数百年、数千年単位の物語にまとめれば、どうしても例外や地域差が失われる。

したがってハラリの著作は、専門的な歴史研究を代替するものとして読むより、「異なる研究領域を接続する仮説を提示する本」として読む方が適している。

「物語が社会をつくる」という説明はどこまで有効か

ハラリの議論で特に魅力的なのが、共有された物語によって大規模協力を説明する考え方である。

ただし、この説明だけですべてが理解できるわけではない。

国家が存在するのは、人々が国家を信じているからだけではない。法律、行政組織、軍事力、税制、経済的利益なども関係している。貨幣についても、人々の共有された信頼は重要だが、国家制度、金融制度、生産力などを無視することはできない。

つまり「共有された物語」は強力な分析概念だが、万能の原因ではない。

この点を意識せず読むと、人間社会のほぼすべてが「みんなが信じているから存在する」という説明に回収されてしまう危険がある。

逆に、この概念を一つの分析レンズとして使えば非常に有効である。企業のブランド、国民意識、貨幣への信頼、政治的理念など、物理的対象だけでは説明できない社会現象を考える手がかりになる。

生物学を使った説明への批判

ハラリは歴史を説明するとき、生物学や進化論的な視点を積極的に導入する。

この方法にも長所と危険がある。

人間を歴史だけでなく動物として考えることによって、家族、食事、暴力、幸福などを長い時間軸から考えることができる。一方で、現代の複雑な社会制度や心理を進化的背景から説明すると、推測と実証の境界が曖昧になる場合がある。

ある行動が進化上有利だったという説明は、直感的には説得力を持ちやすい。しかし、その説明が本当に他の仮説より優れているかどうかを検証するのは容易ではない。

ハラリを読むときには、「興味深い説明」と「十分に実証された説明」を分ける必要がある。

これはハラリ特有の問題というより、歴史と進化論を接続する議論全般に伴う難しさでもある。

未来予測ではなく思考実験として読む

人工知能や生命工学に関するハラリの議論は、ときに未来予測として受け取られる。

しかし、その読み方だけでは評価が極端になりやすい。

予測が当たれば先見の明があったと評価され、外れれば誇張だったと批判される。しかし『ホモ・デウス』などの価値は、必ずしも具体的な未来を正確に予言することにはない。

重要なのは、「もし人間の判断をアルゴリズムが代替できるなら、自由とは何を意味するのか」「もし寿命延長技術が高価なら、経済格差は生物学的格差へ変わるのか」といった条件付きの問いである。

この読み方をすると、未来の技術についての推測が外れても、そこで提示された政治哲学的・倫理的問題は残る。

ハラリをどう読むべきか

ハラリの著作は、個々の事実を覚えるための教科書として読むより、自分の前提を揺さぶるための本として読む方が面白い。

『サピエンス全史』では、「当然存在すると思っている制度は本当に自然なのか」と問いながら読む。

『ホモ・デウス』では、「現在の自由や平等という理念は、どのような人間像を前提としているのか」を考える。

『21 Lessons』では、「技術や政治の変化のなかで、自分は何を根拠に判断しているのか」を確認する。

そして、どの本でも重要なのは、ハラリの説明を最終回答として受け取らないことである。

大胆な一般化を見つけたら、「これはどの地域や時代にも当てはまるのか」「別の原因では説明できないか」「事実の記述と著者の解釈はどこで分かれるのか」と問い直す。そうすることで、ハラリの著作は単なる壮大な歴史物語から、議論を始めるための本へ変わる。

ハラリの強みは、世界について最終的な答えを与えたことではない。国家、貨幣、宗教、自由、個人、人間そのものといった、あまりに身近で疑うことの少ない概念を、歴史的に成立したものとして眺め直す視点を与えたことにある。

そして彼への批判もまた、その視点をさらに深めるために必要である。ハラリを読む価値は、彼の巨大な物語を信じることではなく、その物語がどこまで説明でき、どこから説明できなくなるのかを考えるところにある。

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