貧困は住宅を失わせるのか、住宅喪失が貧困をつくるのか
『Evicted: Poverty and Profit in the American City』が投げかける最も重要な問いは、貧しい人が家賃を払えないために立ち退かされる、という常識的な因果関係を反転できるか、というものだ。著者マシュー・デズモンドは、立ち退きを単なる貧困の結果としてではなく、貧困を持続させ、深刻化させる原因として捉える。2017年のピュリツァー賞も、本書が大規模な立ち退きを「貧困の結果というより原因」として示した点を評価している。
この反転が本書の核心である。失業、依存症、家族関係の混乱、低賃金といった問題を列挙し、「だから住居を失った」と説明するだけなら、貧困研究としては珍しくない。しかしデズモンドが描くのは、住居を失うこと自体が新しい問題を生み、その問題が次の住居をさらに不安定にする過程である。
したがって本書を「アメリカの貧困家庭の悲惨な生活を描いた本」とだけ読むと、その理論的な挑戦を見落とす。重要なのは登場人物がどれほど苦しいかではなく、住居の不安定性を社会問題の中心に置くと、貧困の見え方そのものがどう変わるかである。
個人ではなく、家主と借主の関係を見る
デズモンドは2008年からミルウォーキーで貧困地域の借家人と家主の生活に入り込み、エスノグラフィーと統計分析を組み合わせた。のちのEviction Labも、この研究が立ち退きを貧困の一条件ではなく、その原因として捉える出発点になったと説明している。
この方法の強みは、「貧困者」という属性だけを観察しない点にある。
借主には家賃を支払う事情があり、家主には家賃を回収する事情がある。行政には住宅基準や治安を維持する論理があり、裁判所には契約を執行する論理がある。それぞれの行為を単独で見れば合理的でも、それらが接続された結果として、住居を失いやすい市場が形成される。
ここに本書の重要な価値がある。貧困を、貧困者の内部にある性格や能力の問題から、複数の主体の取引関係へと移動させたのである。
しかも家主を単純な悪役として処理しない。低所得者向け住宅の所有者も修繕費、滞納、行政規制、空室リスクを抱えている。その事情を示したうえでなお、貧困層から家賃を得る市場が利益を生みうることを描く。この構図によって、「誰が悪いのか」という道徳劇よりも、「どのような制度なら合理的な行動の積み重ねがこの結果を生むのか」という問いが前面に出てくる。
立ち退きを「出来事」から「過程」へ変えた
本書のもう一つの功績は、evictionを一回限りの法的事件として扱わなかったことだ。
家を失えば引っ越し費用がかかる。家具や所有物を失うこともある。子どもの学校や近隣との関係が切れる。仕事への距離が変わる。次の家を急いで探さなければならず、選択肢が悪化する。そして過去の立ち退きが次の入居審査を不利にする可能性もある。
すると立ち退きは、「家賃を払えなかった人が退去する」という一点では終わらない。そこから生活条件が連鎖的に悪化していく。
この視点は、その後の立ち退き研究にも接続した。Eviction Labは全国規模のデータ整備を進め、住宅不安定を個別の逸話ではなく測定可能な社会現象として扱う研究基盤を形成した。
『Evicted』の意義は、すべてを本書だけで証明したことではない。むしろ、それまで周辺的に見えた現象を、研究すべき中心的変数へ押し出したことにある。
ただし「原因」という言葉は慎重に読むべきである
本書への代表的な疑問も、まさにここから生まれる。
立ち退きを経験する人々は、立ち退き以前から失業、低所得、病気、依存症、家庭内暴力など複数の困難を抱えている場合がある。それなら、その後の生活悪化は本当に立ち退きによって引き起こされたのか。それとも、もともと存在した困難が立ち退きとその後の困窮の双方を生んだのか。
この区別は重要である。
ミルウォーキーの具体的な人間関係を詳細に追跡するエスノグラフィーは、因果の仕組みを発見することには強い。一方で、それだけで他の条件を統制した平均的な因果効果を確定できるわけではない。実際、本書の「立ち退きが貧困の原因である」という表現に対し、立ち退きは既存の問題を悪化させる要因ではあっても根本原因とは言い切れない、という批判も提示された。
しかし、この批判によって本書の主張が消えるわけでもない。
「唯一の原因である」と「独立した悪化要因として働く」は別の命題だからだ。デズモンドの議論を最も強く読めば因果関係の証明を要求したくなるが、より限定して、「住宅喪失を単なる結果として分析から除外してはならない」と読むなら説得力はかなり高い。
再読するときには、著者が本当にどこまで強い因果主張をしているのかを一文ずつ区別する必要がある。
ミルウォーキーからアメリカ全体を語れるのか
もう一つの前提は、対象地域の代表性である。
本書の舞台は特定の時期のミルウォーキーであり、登場する少数の世帯を詳細に追う。人種構成、住宅供給、家賃水準、州法、福祉制度は都市ごとに異なる。その意味で、描かれた個々の出来事をそのままアメリカ全体の典型例とみなすことはできない。
だが、本書はこの弱点を統計資料と組み合わせることで補おうとしている。さらに出版後には全国的な立ち退きデータの収集が進み、黒人やヒスパニックの借家人、低所得世帯、子どものいる世帯などで立ち退きリスクが高いという研究も蓄積された。
ここでも評価すべきなのは「八家族がアメリカを代表している」ことではない。八家族の観察から得られた仕組みについて、より大きなデータで検証可能な仮説を提出したことである。
優れたエスノグラフィーは統計の代替ではない。統計で何を測るべきかを発見する装置にもなる。本書はその好例として読める。
住宅バウチャーは答えになるのか
政策面では、デズモンドは低所得世帯への住宅支援、とりわけ住宅バウチャーの拡大を重要な解決策として提示する。
この提案には明快な論理がある。問題の重要な部分が、所得に対して住居費が高すぎることにあるなら、住宅費負担を直接軽減する支援は、立ち退きに至る経路を遮断できる。
しかし、ここから先は本書の診断ほど単純ではない。
住宅供給が固定された地域で需要側への補助だけを拡大すれば、家賃上昇にどこまで吸収されるのか。バウチャー受給者を家主が受け入れなければどうするのか。質の低い住宅まで公費で支えることにならないか。ハーバード大学住宅研究センターによる本書評でも、デズモンドが普遍的なバウチャー制度と関連して住宅品質基準の緩和を提案する点には疑問が示されている。
したがって本書の政策提案を受け入れる場合でも、住宅供給、土地利用規制、公営住宅、借家人保護、住宅品質規制と切り離して考えるべきではない。
本書は「住宅支援が必要だ」という診断では強いが、最適な制度設計まで決着させた本ではない。
貧困を「利益」の側から見る
副題にある「Profit」は、本書を単なる住宅政策論以上のものにしている。
貧困研究では、なぜ人が貧しくなるのか、なぜそこから脱出できないのかが問われやすい。しかしその問いだけでは、貧困状態から所得を得る主体が視界から消える。
高額な家賃、延滞、粗悪住宅、立ち退きが繰り返される市場が長期間存続するのであれば、「なぜ貧困者は抜け出せないのか」と同時に、「この状態から誰が利益を得ているのか」と問わなければならない。
この問いは後年のデズモンド自身の『Poverty, by America』でさらに拡張される。同書では貧困層そのものを描くことから、企業、消費者、住宅所有者、政府制度など、貧困から利益を受ける側へと分析の重心が移る。
その意味で『Evicted』は完成された体系というより、デズモンドの問題設定が転換する地点として位置づけられる。
他書と並べると何が見えるか
バーバラ・エーレンライクの『Nickel and Dimed』が、働いても生活を維持できない低賃金労働の構造を内側から示した本だとすれば、『Evicted』はその給与が住宅市場へ入った後に何が起きるかを追う。低賃金と高い住居費は別々の問題ではなく、同じ家計の両側にある。
リチャード・ロススタインの『The Color of Law』と組み合わせれば、さらに時間軸が伸びる。ロススタインが政府の住宅政策によって人種的な居住分離が形成された歴史を論じるのに対し、『Evicted』は、そのような都市構造の内部で現在の低所得賃貸市場がどのように作動するのかを観察する。
前者が制度形成の歴史を問うなら、後者は制度のもとで毎月家賃を払う人々の日常を問う。
どちらかだけでは足りない。歴史だけでは現在の取引過程が見えにくく、現場だけではその市場がなぜその場所に、その形で存在するのかが見えにくい。
出版後も残った本書の位置
『Evicted』は2016年に刊行され、翌年にピュリツァー賞一般ノンフィクション部門を受賞した。 しかし本書の重要性は受賞歴そのものより、evictionという言葉を住宅政策だけの専門用語から、貧困研究の中心概念の一つへ押し上げたことにある。
出版後に全国的なデータ研究が進んだことで、本書は奇妙な位置に置かれている。
もはや立ち退き問題について得られる最新の実証知識を一冊で代表する本ではない。一方で、なぜそのデータを集める必要があるのかを理解するためには、依然として強力な入口である。
したがって現在読むなら、本書を「立ち退きについての最終回答」としてではなく、「何を問題として数えるべきかを変えた本」として評価するのが適切だろう。
再読するときに残る問い
初読では、住居を失う家族の経験が強く残る。しかし批評として再読するなら、感情移入から少し距離を置きたい。
立ち退きは、どの程度まで貧困の原因なのか。それとも複数の不利益を増幅する媒介変数なのか。
家主の利益を批判するとき、個々の家主の行動と、そうした行動を合理的にする市場制度をどこまで区別できているか。
住宅バウチャーを普遍化したとき、家賃、供給、住宅品質はどう変化するのか。
そして最も重要なのは、安定した住居を市場で購入できる財としてだけ扱ってよいのか、という問いである。
『Evicted』の価値は、これらに完全な答えを与えたことではない。貧困を見たときに「なぜこの人はお金がないのか」だけを問う読者に対し、「家を失う制度そのものが、その人をさらに貧しくしてはいないか」「その不安定さから利益を得ているのは誰か」と問い返したことにある。
その問いが残る限り、本書は悲惨な生活の記録以上のものとして読み直すことができる。