「西洋人の心理」は人類の標準なのか
ジョセフ・ヘンリックの『The WEIRDest People in the World』が投げかける問いは、かなり挑発的である。近代的な西洋社会で当たり前とされる心理や行動様式は、本当に人間一般の性質なのか。それとも、特定の歴史的条件から生まれた例外的なものなのか。
WEIRDとはWestern, Educated, Industrialized, Rich, Democraticの頭文字で、西洋的で、高い教育を受け、工業化され、豊かで、民主的な社会に暮らす人々を指す。ヘンリックは、この集団が心理学研究の被験者として過剰に使われてきた一方、人類全体のなかでは必ずしも典型的ではないと論じる。
だが本書の野心は、心理学研究の偏りを指摘するだけではない。なぜ西欧を中心とする社会で、個人主義、見知らぬ他者への信頼、普遍的な規則への志向、分析的思考といった特徴が発達したのか。その遠因を、中世以前から続く家族制度の変化、とりわけ西方教会による婚姻・親族規範への介入に求める。
したがって、本書で本当に検討すべきなのは「西洋人は特殊だ」という結論ではない。家族制度の変化から心理、制度、経済発展までを結ぶ巨大な因果連鎖が、どこまで説得的なのかである。
中心主張――親族集団の解体が個人をつくった
ヘンリックの説明の起点にあるのは、人類史の大部分において、人間が強固な親族集団のなかで生活してきたという見方である。
血縁や婚姻によって結ばれた氏族では、個人より家族や親族集団への義務が重い。結婚相手、財産、紛争解決、協力関係も親族ネットワークの内部で処理されやすい。こうした社会では、人格は独立した「個人」としてより、関係のなかの存在として理解される。
本書が転換点として重視するのが、西方教会による婚姻規制である。近親婚、一夫多妻、いとこ婚などへの規制が長期間にわたって広がり、さらに核家族化を促す規範が浸透した結果、巨大な親族集団の結束が弱まった、とヘンリックは考える。
ここから本書の因果連鎖が始まる。
親族集団が弱くなれば、人は血縁者以外と協力しなければならない。するとギルド、都市、大学、宗教組織、自治組織といった自発的な結社が重要になる。特定の親族ではなく、抽象的な規則や契約を通じて知らない他者と関係を結ぶ社会が発達する。
その環境への文化的適応として、個人主義、普遍主義、公平性、自己選択、罪の内面化、分析的思考などが強まった。そして、そうした心理と制度が相互作用することで、近代的な市場経済や法制度、民主主義、科学の発展にも適した社会が形成された、というのが本書の大筋である。
大胆なのは、宗教規範から家族構造、心理、制度、経済までを一本の歴史モデルとして接続した点にある。
本書の強さは「文化が心理をつくる」と本気で考えたことにある
本書の価値は、西洋社会の優越を主張したことにはない。むしろ、西洋社会で自然だと思われている人間像を歴史化したことにある。
近代思想では、独立した個人が自分の利益や信念を持ち、その個人同士が契約して社会を形成するというモデルがしばしば前提となる。しかしヘンリックの議論に従えば、そのような「個人」そのものが歴史的に形成された可能性がある。
これは重要な反転である。
市場経済が個人主義を生んだ、民主主義が自由な個人を生んだ、と考えるだけでは足りない。市場や民主主義を運営しやすい心理的特性が、制度成立以前から長期的な文化進化によって形成されていた可能性を考えなければならない。
ヘンリックは実験心理学、人類学、歴史資料、地域比較などを大量に組み合わせる。個々の証拠の強さには差があるとしても、心理学と歴史学を切り離さず、制度と文化と心理が互いを変化させるという研究プログラムを提示した点は大きい。
特に重要なのは、「文化」を思想や価値観だけとして扱っていないことである。婚姻規則、相続、親族構造、協力の範囲といった日常的制度が、世代を超えて人間の認知や行動傾向を変えていく。本書では文化は、心理の上に乗る装飾ではなく、心理そのものを形成する環境として扱われる。
それでも巨大な因果連鎖には危うさがある
本書の魅力と弱点は同じ場所にある。説明範囲があまりにも大きいことである。
教会による婚姻規制から親族制度の弱体化を導き、そこから個人主義や普遍主義を導き、さらに市場、法、科学、民主主義へと接続する。この連鎖の各部分について部分的な証拠を提示することはできても、全体が一つの因果過程として成立していることを証明するのは難しい。
最大の問題は因果方向である。
たとえば親族関係が弱い地域ほど教会の婚姻規範を受け入れやすかった可能性はないのか。都市化、交易、国家形成など別の要因が、親族構造と教会制度を同時に変えた可能性はないのか。教会が原因だったのか、それともすでに進行していた社会変化を教会が制度化したのか。
本書と関係の深い実証研究では、教会への歴史的曝露と現代の心理的特徴の地域差を結びつける分析も行われている。しかし歴史的な観察データから、数百年以上に及ぶ因果関係を完全に識別することには原理的な難しさが残る。
したがって「教会がWEIRDな心理をつくった」という表現を、そのまま確定した歴史法則として受け取るべきではない。
「西洋」を一つにまとめてよいのか
もう一つの問題は、WEIRDというカテゴリー自体の粗さである。
イングランド、イタリア、ドイツ、米国、北欧を同じ「西洋」に入れても、家族制度、宗教、国家形成、都市化、教育制度は大きく異なる。逆に、西洋以外にも弱い親族制度、商業的制度、普遍主義的宗教倫理など、本書がWEIRD化と関連づける特徴を持つ社会は存在する。
もちろんヘンリック自身も地域差を扱っており、単純な「西洋対その他」という二分法だけで議論しているわけではない。それでも、巨大な比較史を構築するためには、複雑な歴史を少数の変数へ圧縮せざるを得ない。
ここにはトレードオフがある。
細部を重視すれば世界史的説明はできない。世界史的説明をしようとすれば細部を失う。本書を評価する際には、個々の地域史の完全な説明として読むより、「親族制度を従来以上に重要な変数として扱うべきだ」という仮説生成的な仕事として読む方が強い。
これは西洋中心主義なのか、それとも西洋の脱中心化なのか
本書には一見すると矛盾した二つの読み方が可能である。
一つは、西欧の制度的成功を説明しようとする新しい西洋中心史観だという読み方だ。科学、市場、民主主義など近代西欧の特徴を説明対象の終点に置けば、歴史が最終的に西洋の成功へ向かって進む物語に見える危険がある。
もう一つは、逆に西洋を人類の標準から引きずり下ろす本だという読み方である。
個人主義も分析的思考も、普遍的な人間性ではない。それらは特殊な社会環境が生んだ文化的心理である。この意味では、本書は「西洋人こそ普通の人間である」という前提を壊している。
この二面性は、本書を読むうえで重要である。西洋の特殊性を説明することと、西洋の優越を主張することは同じではない。しかし「なぜ西洋が近代化したのか」という古典的な問いを中心に据える限り、どの社会を基準に歴史を整理するかという問題は残り続ける。
他書と並べると何が見えるか
ヘンリックの以前の著作『The Secret of Our Success』では、人間の成功を個人の知能ではなく、社会学習と累積的文化の能力から説明する視点が中心だった。本書はその発想を西洋史に適用したものとして読める。
人間は合理的主体として制度を設計するだけではない。制度のなかで生活することによって、人間自身の心理が変化する。そして変化した心理が次の制度を支える。この文化と心理の共進化こそ、両著作をつなぐ中心テーマである。
一方、ダロン・アセモグルとジェイムズ・ロビンソンのように政治制度を重視する議論と比べると、本書は「その制度を支える人間はどこから来たのか」というさらに一段深い層へ降りようとする。
ただし説明を深くすればするほど、検証は難しくなる。制度論なら法律や権力構造を比較できるが、千年前の家族制度が現代人の心理へ与えた影響を分離することは容易ではない。この違いは、どちらが正しいかではなく、歴史説明においてどこまで遠因をさかのぼるべきかという方法論上の対立でもある。
出版後も残るのは「結論」より研究課題である
本書の個々の因果主張が将来修正されたとしても、提示した問題そのものは消えにくい。
心理学で観測される傾向を人間一般の性質とみなしてよいのか。家族制度は政治制度や経済制度と同じくらい重要な歴史変数ではないのか。制度が人間の行動を変えるだけでなく、世代を超えて心理的傾向まで変化させる可能性をどう測定するのか。
こうした問いは、文化心理学、経済史、制度論、人類学を横断する。
その意味で『The WEIRDest People in the World』は、確定した「西洋文明の起源」を教える本というより、従来別々に研究されてきた領域のあいだに巨大な因果仮説を架けた本として位置づける方がよい。
巨大な理論は、完全に正しい必要はない。どこが間違っているのかを調べることで、新しい研究が生まれるからである。
再読するときに問うべきこと
初読では、「西洋人は人類のなかで心理的に特殊である」という逆説が強く印象に残る。しかし再読では、その驚きから距離を取った方がよい。
見るべきなのは、因果連鎖の一つ一つである。
教会の婚姻規制は本当に親族集団を弱めたのか。親族集団の弱体化は本当に個人主義を強めたのか。それは市場や都市化とは独立した効果なのか。現代の心理実験は、数百年前の制度変化の痕跡をどこまで測定できるのか。そして、この説明が正しいなら、同じ条件を部分的に持ちながら異なる歴史を歩んだ社会をどう説明するのか。
さらに重要なのは、反証条件を考えることである。
親族制度が弱いのにWEIRD的心理が発達しなかった社会、あるいは親族制度が強いのに普遍主義的制度が発達した社会が多数見つかれば、理論は修正を迫られるだろう。逆に、教会とは独立した歴史条件を統制しても同じ関連が繰り返し確認されるなら、ヘンリックの仮説は強くなる。
本書の面白さは、西洋文明について一つの答えを与えたことよりも、「人間の心そのものにも歴史がある」という可能性を徹底して追究したところにある。
そしてその視点を受け入れた瞬間、問いは西洋だけにとどまらない。私たちが合理性、個人、家族、公平、自由と呼んでいるもののうち、どこまでが人間に普遍的で、どこからが特定の制度のなかで身につけた習慣なのか。
本書を再読する価値は、その境界をもう一度疑うことにある。