「当たる予測」だけでは足りない
予測という言葉から、多くの人は一つの数値を思い浮かべる。来年の成長率は2%、明日の最高気温は30度、候補者Aの得票率は52%、ある病気を発症する確率は10%、といった表現である。しかし、「予測には不確実性の表現が必要である」という主張が問題にしているのは、予測値そのものよりも、その周囲にどれほどの未知が残っているかである。
同じ「来年の成長率2%」でも、ほぼ1.8〜2.2%に収まると考えられている場合と、景気後退ならマイナス3%、好況なら5%という可能性まである場合では、意思決定上の意味はまったく異なる。点予測だけを提示すると、この差が消えてしまう。不確実性の表現とは、予測区間、確率分布、複数シナリオ、事象の発生確率などを用いて、「どの結果がどの程度ありうるのか」を示すことである。
この主張は、「すべての予測に複雑な確率分布を添えよ」という意味ではない。必要なのは、意思決定に影響するほど不確実性が大きいにもかかわらず、それを隠した一つの数字だけを確定的な事実のように扱わないことである。
点予測が失う情報
点予測には明確な利点がある。理解しやすく、比較しやすく、計画にも使いやすい。売上予算を組む場合には、最終的に「来期売上100億円」のような一つの数字を置かなければならない場面もある。したがって、点予測そのものが誤りなのではない。
問題は、点予測がしばしば予測過程の不確実性を隠してしまう点にある。
たとえば、二つのモデルがどちらも平均100を予測していたとしても、一方が90〜110付近に結果が集中すると考え、もう一方が50〜150まで広く可能性を認めているなら、リスク管理では同じ予測として扱えない。平均値だけでは、分布の広がりも極端な結果の可能性も分からない。
さらに、損失が左右対称とは限らない。商品の需要が予想より10%多い場合と10%少ない場合で損害が同じとは限らず、洪水、感染症、金融危機などでは、低確率でも巨大な損失をもたらす事象が重要になる。予測の中心値だけに注目すると、意思決定に必要な情報ほど切り落とされる場合がある。
この意味で、不確実性の表現は予測に付随する注意書きではない。それ自体が予測情報の一部である。
根拠は「予測が間違う」ことだけではない
この主張の最も単純な論拠は、未来には偶然性と未知が存在するという事実である。しかし重要なのは、単に「未来は分からないから謙虚になろう」という倫理的主張ではない。
統計的予測では、観測データそのものにばらつきがあり、推定されたモデルのパラメータにも誤差がある。さらに、モデルが現実を完全には記述していないというモデル不確実性も存在する。経済や社会では、制度変更、戦争、技術革新、行動変化のように、過去のデータから容易に推定できない変化も起こりうる。
したがって予測値には、異なる種類の不確実性が重なっている。
古典的な統計学では、推定値の標準誤差や信頼区間、将来観測値に対する予測区間などによってその一部を表す。ベイズ統計では、未知の量について確率分布を与え、観測データによって更新する形で不確実性を表現できる。気象予報などで用いられるアンサンブル予測も、条件や計算の違いから複数の将来経路を生成し、可能性の広がりを把握しようとする方法である。
理論的な立場は異なっても、「一つの推定値だけでは予測の情報を十分に表せない」という問題意識は広く共有されている。
良い確率予測とは何か
もっとも、不確実性を表示すればそれだけで予測が良くなるわけではない。「70%の確率で起こる」と数字を付けるだけなら、もっともらしさを追加しただけにもなりうる。
重要な概念の一つが較正、すなわちキャリブレーションである。ある予測者が多数の事象に対して「70%」と予測したなら、長期的にはその程度の割合で事象が実現することが期待される。実際には90%起きているなら、その予測者は過小評価しているし、40%しか起きていないなら過大評価している。
ただし、較正だけでも十分ではない。何についても50%と答える予測は、条件によっては見かけ上そこそこ較正されても、識別能力に乏しい。良い確率予測には、実際に起こりやすい事象には高い確率を、起こりにくい事象には低い確率を割り当てる鋭さも必要になる。
このため予測研究では、実現した結果と提示された確率を合わせて評価するスコアリング規則が用いられる。重要なのは、予測の評価対象を「当たったか外れたか」という二値だけにしないことである。20%と予測した事象が起きたことと、99%と予測した事象が起きなかったことは、同じ「一回の外れ」ではない。
不確実性を明示することで初めて、予測者がどの程度の確信を持っていたのかまで検証可能になる。
不確実性表示への代表的な批判
それでも、「予測には必ず不確実性を示すべきだ」と無条件に一般化することには問題がある。
第一に、確率や区間は利用者に正しく理解されるとは限らない。たとえば「95%区間」という表現の意味は統計的方法によって異なり、専門的な定義と日常的な理解が一致しないことがある。細かな確率を大量に示せば、むしろ重要な判断を難しくする場合もある。
第二に、表示された不確実性そのものが正しいとは限らない。モデルが重要な変数を欠いていれば、計算された区間が狭くても、現実の不確実性はそれより大きいかもしれない。高度な計算によって小数点以下まで確率を表示すると、実際以上の精密さを演出する危険さえある。
第三に、意思決定には最終的な行動が必要である。企業は「売上は80億〜130億円の確率分布です」と示しただけでは設備投資額を決められない。政策でも、複数の可能性を認めたうえで、最終的には予算や規制水準を選択しなければならない。
したがって、不確実性の表示は決断の代替ではない。予測と意思決定は区別すべきであり、前者が分布を示したとしても、後者では目的、費用、リスク許容度を踏まえて一つの行動を選ぶ必要がある。
批判への反論は「表示方法」を問題にする
これらの批判は、不確実性を示す必要性そのものを否定するというより、「どのように示すか」という問題を提起している。
確率分布を理解しにくい相手には、代表的なシナリオを示す方法がある。「最も可能性が高い場合」「悪化した場合」「改善した場合」のように分け、それぞれの条件を明示すれば、単一の数字より情報を保ちながら理解しやすくできる。ただし、シナリオを恣意的に選べば誤解を招くため、どの程度の可能性を想定しているのかを可能な範囲で示す必要がある。
また、予測区間を提示する際にも、その範囲に含まれていない不確実性を説明できる。モデルが過去の関係の継続を前提としているなら、「制度が大きく変化した場合はこの範囲を外れる可能性がある」と明示する方が、計算結果だけを示すより誠実である。
つまり重要なのは、不確実性を完全に数量化できると考えることではない。数量化できる不確実性と、数量化が難しい未知を区別することにある。
「未知の未知」は確率で表せるのか
この点は主張の限界にもつながる。不確実性を確率分布として表現する方法は強力だが、考えられる未来の集合そのものが分からない場合には限界がある。
過去のデータから変動幅を推定できる問題と、過去に存在しなかった技術や制度が登場する問題は同じではない。モデル内部の確率を精密化しても、モデルの外側にある出来事は自動的には取り込まれない。
したがって、「不確実性を表現する」という要求を「すべてを確率に変換する」という要求と同一視すべきではない。場合によっては、複数モデルを併記すること、前提条件を明示すること、予測不能な要因を列挙すること自体が不確実性表現になる。
これはリスクと不確実性を区別する古くからの議論とも関係する。発生しうる結果と確率をある程度推定できる状況と、その確率自体を信頼してよいか分からない状況では、必要な判断方法が異なる。
研究上は何が争われているのか
現代の統計学や予測研究において、予測に不確実性が存在すること自体はほとんど争点ではない。研究上の問題は、それをどう推定し、どう評価し、どう伝達するかに移っている。
とくに難しいのは、データ生成過程が時間とともに変化する場合、極端な事象のデータが少ない場合、複数モデルが異なる結論を示す場合である。機械学習でも、予測精度が高いモデルが必ずしも信頼できる不確実性推定を行うとは限らず、確率の較正や分布外データへの対応は独立した問題になる。
また、人間が確率情報をどのように受け取るかという研究も重要である。不確実性を示せば常に信頼が高まるとも、常に低下するとも単純には言えない。表示形式、文脈、利用者の知識、予測機関への信頼などによって受け止め方は変わりうる。
したがって研究上の中心課題は、「不確実性を示すか否か」から、「どの不確実性を、どの方法で、誰に対して示せば意思決定を改善できるか」へ進んでいると見る方が適切である。
予測とは未来を一つに決めることではない
「予測には不確実性の表現が必要である」という主張の価値は、予測を未来の断言から、可能性の構造を記述する行為へと捉え直す点にある。
一つの数字は便利だが、その数字がどれほど不安定なのかを失えば、予測の利用者はモデルが知っている以上の確実性を読み込んでしまう。逆に、不確実性を示すことは「何も分からない」と告白することでもない。どこまで分かり、どこから先が不確かであるかを区別することである。
ただし、確率や区間を付ければ問題が解決するわけではない。過小評価された予測区間や根拠の乏しい確率は、単一の点予測以上に誤解を招くこともある。必要なのは、予測値、不確実性、前提条件、モデルの限界を可能な範囲で分離して提示することである。
この主張を最も強く支持する理由は、不確実性を表現した予測が必ず当たりやすいからではない。外れたときまで含めて、予測がどの程度の情報を持っていたのかを検証できるからである。未来を正確に言い当てる能力には限界がある。その限界自体を情報として扱うことが、予測を単なる数字から検証可能な判断材料へ変える。