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不平等は平均値だけでは捉えられない

不平等は平均値だけでは捉えられないをめぐる批評・深掘り記事。

「平均」は豊かさを示しても、分配を示さない

「不平等は平均値だけでは捉えられない」という主張は、一見すると統計の初歩にすぎない。平均所得が同じ二つの社会でも、全員がほぼ同じ所得を得ている場合と、一部の人に所得が集中している場合では、不平等の程度はまったく異なるからである。OECDも所得不平等を「人口のあいだで所得がどのように分布しているかの差」と定義しており、平均所得そのものとは別の概念として扱っている。平均賃金は賃金総額を労働者数で割った値である一方、中央値は分布の中央にいる人の水準を表す。両者が一致する保証はない。

したがって、この主張の核心は「平均は無意味だ」ということではない。平均は社会全体でどれほどの所得や資源が生み出されているかを知るうえで重要である。しかし平均には、その総量が誰に配分されたかという情報がほとんど含まれていない。問題は、平均値を豊かさの指標として使うことではなく、それを典型的な個人の生活状態や分配の公平さまで代表する数字として扱うことにある。

単純な例を考えればよい。5人の所得がそれぞれ300万円なら平均は300万円である。別の社会で4人が100万円、1人が1100万円なら、平均はやはり300万円になる。逆に、後者で最上位の1人の所得だけがさらに増えれば、残る4人の生活がまったく改善しなくても平均所得は上昇する。このとき「平均所得が伸びた」という記述は正しいが、「人々が平均的に豊かになった」という日常語の含意まで引き受けさせると誤解が生じる。

著者側の論拠は「分布を見る」ことにある

この主張を支持する研究者が重視してきたのは、平均から分布へ視線を移すことである。代表的な方法は、中央値、所得階級別のシェア、分位点、ジニ係数などを併用することだ。世界銀行はジニ係数を所得分布全体を要約する代表的な不平等指標として扱い、WID(World Inequality Database)は上位10%、上位1%、下位50%などの所得・資産シェアを公開している。

中央値は「典型的な人」に近い位置を示す点で平均より有用な場合がある。上位の少数者の所得が極端に高くなっても、中央値は直接には大きく動かない。しかし中央値にも限界がある。中央値が同じでも、最下層の所得が大幅に低下した社会と、下半分全体が安定している社会を区別できない。また、最上位層にどれほど所得や資産が集中しているかも分からない。つまり「平均の代わりに中央値を見ればよい」という話ではない。

そこで分位別の指標が重要になる。OECDは所得分布を上位・中位・下位に分けて比較し、長期データがある多くの国では、1990年代以降、中央値の所得成長が分布の下部より速く、上部より遅かったと報告している。これは一つの平均成長率だけでは、どの層が成長の利益を多く受けたかを判別できないことを示す。

さらに、所得だけでなく資産を見る必要もある。高所得でなくても住宅や金融資産を多く持つ世帯があり、反対に一定の所得があっても債務が大きい世帯もある。米連邦準備制度のDistributional Financial Accountsは、家計資産を富の分位別に分解して公表している。平均純資産だけでは資産集中の実態が見えにくいため、保有シェアや資産構成まで分けて観察する設計になっている。

それでも「平均」を捨ててはいけない

この主張に対する最も重要な批判は、平均値の限界を指摘することと、平均値の価値を否定することを混同してはならないという点である。ある国の一人当たり所得が長期的に大幅に増えたなら、それは生産可能な財やサービスの総量が増えたことを示す重要な情報である。不平等が存在するからといって、平均的な資源量の増加が無意味になるわけではない。

極端な例では、全員の所得が2倍になり、所得比率が変わらなかった場合、相対的不平等はほぼ変わらなくても生活水準は大きく上がりうる。反対に、所得分布が完全に均等でも、全員が極端に低所得なら望ましい社会とは限らない。したがって、「平均」と「分配」は競合する指標ではなく、異なる問いへの答えである。平均は「どれだけあるか」を、分布指標は「誰がどれだけ持つか」を主に示す。

また、平均と中央値の乖離をただちに「悪い不平等」とみなすのも早計である。所得差には年齢、労働時間、教育、職業、世帯構成など多くの要因が含まれる。格差のすべてが同じ倫理的意味を持つわけではない。さらに、一時点の所得格差と生涯所得の格差は同一ではなく、学生期や退職期などライフサイクル上の位置によっても所得は変わる。このため、不平等の評価には何を分配対象とし、どの期間で測るかという規範的・方法論的な選択が避けられない。

不平等指標にも「平均化」の問題が残る

平均値から離れれば問題が解決するわけでもない。ジニ係数は分布全体を一つの数字に圧縮するため便利だが、異なる形の所得分布が同じジニ係数を取ることがある。世界銀行もジニ係数を広く利用している一方、分布の特定部分を見る所得シェアや比率とは性質が異なると説明している。さらに世界銀行の研究者は、ジニ係数が最上位の極端な格差に比較的鈍感になりうる点を指摘している。

これは重要な反論可能性を示す。「不平等は平均値だけでは捉えられない」は正しいとしても、「では、どの指標なら正しく捉えられるのか」という問いには一意の答えがない。下位層の困窮を重視するなら貧困率や下位所得シェアが重要になり、富裕層への集中を問題にするなら上位1%や0.1%のシェアが重要になる。中間層の位置を知りたいなら中央値が有効である。分布全体の比較にはジニ係数やローレンツ曲線が使えるが、何を重視するかによって評価は変わる。

ここでは統計指標の選択そのものに価値判断が入り込む。格差のどの部分を重く見るのか、所得差の絶対額と比率のどちらを重視するのか、税引前所得と税引後所得のどちらを見るのかによって、不平等の像は変わる。したがって、単一の「正しい不平等指数」を探すより、複数指標を組み合わせ、何を測っている数字なのかを明示する方が妥当である。

貧困・機会・移動性とは区別する必要がある

さらに、この命題は「不平等」という概念の境界を確認するうえでも重要である。所得分布のばらつきが大きいことと、貧困が深刻であることは同じではない。全員の所得が高い社会でも格差は大きくなりうるし、反対に全員の所得が低ければ、格差が小さくても貧困は深刻になりうる。平均所得、貧困率、不平等指標は、それぞれ異なる側面を測る。

同じことは「機会の不平等」や「世代間移動」にも当てはまる。結果としての所得分布が同程度でも、親の所得や出身地域によって教育・職業機会が強く制約される社会と、順位の入れ替わりが大きい社会では意味が異なる。一時点の平均やジニ係数だけでは、この違いは捉えられない。また、所得だけでなく健康、教育、住宅、時間、環境負荷など複数の次元を同時に考える「多次元的不平等」の研究もある。世界銀行の近年の研究でも、単一の所得指標だけでなく複数次元の格差を測る枠組みが検討されている。

この点から見ると、「平均値だけでは捉えられない」という主張の適用範囲はかなり広い。ただし広げすぎれば、何でも「分布を見よ」で済ませる空疎な標語にもなりうる。重要なのは、具体的な問いごとに、平均・中央値・分位・貧困率・資産・移動性など、どの情報が必要かを選ぶことである。

研究は「平均から分布へ」をさらに進めている

近年の研究で重要なのは、マクロ経済の平均値と家計レベルの分布を接続しようとする流れである。ピケティ、サエズ、ズックマンらのDistributional National Accountsは、国民所得の総額と整合する形で所得を分位別に配分し、各所得層の成長率を計測する枠組みを提示した。彼らの米国研究は税務データ、家計調査、国民経済計算を組み合わせ、国民所得全体を分布に割り当てることを試みている。

この方向は、平均値を捨てるのではなく、平均値を「分解する」発想だと言える。OECDも国民経済計算と整合する家計所得・消費・貯蓄の分布統計を整備しており、所得五分位ごとの結果を示す実験統計を提供している。 こうした取り組みの背景には、家計調査だけでは最上位所得や資産を十分に捕捉しにくく、逆に国民経済計算だけでは分配が見えないという測定上の問題がある。WIDも国民経済計算、調査、税務データ、資産ランキングなど複数の情報源を組み合わせる方法を採っている。

研究上の状態をまとめれば、「平均値だけでは不平等を測れない」という命題そのものに大きな争いはない。争点は、その先にある。どの所得概念を使うか、世帯規模をどう調整するか、資産をどう評価するか、上位層の欠測をどう補うか、税と社会保障をどこまで含めるかによって推計結果は変わる。つまり現在の研究課題は、平均の限界を証明することではなく、分布をどの程度正確かつ比較可能に測れるかに移っている。

この主張が本当に要求しているもの

「不平等は平均値だけでは捉えられない」という命題は、平均を拒否するための標語ではない。それは、社会を一つの代表値に還元しないための方法論的な注意である。平均所得の上昇は重要であり、経済全体の成長を示す。しかし、誰の所得が伸びたのか、中央値はどう動いたのか、下位層は取り残されていないか、富は上位層に集中していないかという問いを別に立てなければ、成長と分配を混同する。

この主張はまた、「平均的な人」という便利な虚構への警戒でもある。現実の社会では、人々は平均値の上に均等に並んでいるわけではない。所得、資産、負債、消費、教育、健康などはそれぞれ異なる分布を持つ。平均はその中心的な情報の一つにすぎない。したがって最も強い形でこの主張を言い換えるなら、不平等を理解するには、代表値ではなく分布そのものを問い、しかも一つの分布指標だけで結論を出さないことが必要だ、ということになる。

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