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共有された虚構が大規模協力を可能にした

人々が共通の物語・制度を信じることが大規模な協力を支える、という主張。

「共有された虚構」とは何を指すのか

「共有された虚構が大規模協力を可能にした」という主張は、ユヴァル・ノア・ハラリの議論の中でも、とりわけ強い印象を残すものだ。ここでいう「虚構」は、単なる嘘や誤情報という意味ではない。国家、貨幣、企業、宗教、法、権利といった、人間が共同で承認することで社会的な効力を持つ観念や制度を含む。ハラリ自身も、世界のすべてが虚構だと言っているわけではなく、貨幣や企業や国家などを、人間の共有された想像の中に存在するものとして区別している。

したがって、この主張の中心は「人間は作り話を信じやすい」という心理学的指摘ではない。重要なのは、互いを個人的に知らない多数の人間が、同じ制度・規範・象徴を参照することで行動を調整できる、という点にある。私は相手の人格を知らなくても、同じ通貨を受け取ると期待でき、同じ会社の規則に従い、同じ国家の法が適用されると想定できる。共有された意味の体系が、対面的な信頼の不足を補っているのである。

主張の適用範囲はどこまでか

この考え方が最も説得力を持つのは、「見知らぬ他者との協力」を説明するときである。家族や親しい友人の間では、協力は血縁、愛着、互酬性、評判などによって成立しうる。しかし、数万人、数百万人、さらには国境を越える規模になると、参加者全員が互いを知ることはできない。そこで共通の分類、役割、規則、権威、価値が必要になる。

ハラリは、神話や物語を共有する能力によって、ホモ・サピエンスが「多数の見知らぬ者と柔軟に協力できる」ようになったと説明する。 この表現の強みは、協力の規模と柔軟性を一つの問題として捉える点にある。昆虫のような大規模集団とは異なり、人間社会は会社、軍隊、宗教団体、市場、国家など目的の異なる組織を作り替えられる。人間の協力は単に人数が多いだけでなく、制度を変更し、別の制度へ乗り換えることができる。

ただし、「大規模協力のすべてが虚構によって可能になった」と読むなら、主張は強すぎる。協力には、制裁、監視、契約、物質的利益、親族関係、評判、慣習、リーダーシップ、組織階層、通信技術なども関与する。共有された物語は、その一部を意味づけ、正当化し、予測可能にする要素と考えるほうが妥当である。

### 「親しい関係の限界」とは別の問題である

この議論は、しばしば「ダンバー数」と結びつけて説明される。確かに、人間が一人ひとりを個人として把握し、濃密な関係を維持できる人数には認知的・時間的な制約があるという研究は、大規模社会が別の調整手段を必要とするという直観を補強する。ただし、有名な「約150人」という単一の上限値そのものは確定的な事実ではない。更新データを用いた再検討では、特定の一つの認知的上限を導くことに疑問も呈されている。

重要なのは数字ではなく、顔の見える相互関係だけでは巨大社会を運営しにくいという点である。そこで人間は、「この人物を知っているから信頼する」だけでなく、「この資格証を持つ人だから任せる」「この役職にはこの権限がある」「この紙幣は誰もが受け取る」といった、カテゴリーと制度を介した信頼を使う。ハラリの「共有された虚構」は、この移行を大胆に一語で捉えた概念と見ることができる。

なぜこの主張には支持する材料があるのか

文化進化論や制度研究には、ハラリの直観と重なる部分がある。人間の大規模社会を支える仕組みとして、社会規範、制度、共有された文化情報が重要だという考えは、ハラリ独自のものではない。制度が大規模社会への移行に重要だったという理論や、文化が人間の協力の進化に大きな役割を果たしたという研究がある。

宗教も興味深い例である。宗教的な信念、儀礼、超自然的制裁が、集団内の協力や規範遵守と結びつく可能性は長く研究されてきた。世界宗教が信念や価値を広い範囲で共有させ、民族を越えた文化的な類似性を作るという研究もある。 また、集団で同じ動きをする同期行動や強い覚醒を伴う儀礼が、その後の凝集性や協力行動を高めたという実験的研究も報告されている。

こうした研究は、「同じ意味世界に参加すること」が協力と無関係ではないことを示す。しかし、ここで支持されるのはハラリの主張の弱い形である。すなわち、共有信念や儀礼、規範、制度が大規模協力を促進しうる、という命題である。「虚構を語る能力こそが決定的原因だった」という強い歴史因果まで直接証明したわけではない。

最大の問題は「虚構」という一語にまとめすぎること

批判の第一は概念の広さである。国家、株式会社、神、貨幣、人権をすべて「共有された虚構」に入れると、共通点は見えやすくなる一方、相違が消える。

たとえば貨幣には、共同の信認だけでなく、国家による租税徴収、法的決済手段、金融制度、物価、供給制約などが関わる。会社は法人格という法的構成物であると同時に、従業員、建物、設備、契約、資産を持つ組織でもある。人権は自然界に物体として存在しないが、だからといって単なる作り話と同じ種類のものだとは限らない。規範的理念、制度的事実、宗教的信念、フィクション作品を「実在しない」という一点だけで同じ箱に入れると、説明力より修辞的な鮮やかさが勝ってしまう。

ここでは「虚構」よりも、「間主観的制度」「社会的事実」「共有規範」といった語のほうが精密な場合がある。社会的に構成されたものは、物理的対象と同じ仕方では存在しないが、行為を拘束し、資源を配分し、権利義務を発生させるという意味で現実の効果を持つ。ハラリの狙いはまさにそこにあるが、「虚構」という語は、その制度的実在性を過小評価させる危険も持つ。

因果関係は逆向きかもしれない

第二の批判は、共有信念が大規模社会を生んだのか、それとも大規模社会が共有信念を必要として発達させたのか、という因果方向の問題である。

宗教と社会複雑性の研究では、この順序は単純ではない。宗教的・政治的権威が長期にわたり相互依存的に発展してきたことを示す比較研究があり、どちらか一方を単独の原因とみなすのは難しい。 さらに、超自然的信念と大規模協力の関係についても、文化差、再現性、因果の向きをめぐる議論が続いている。2026年の研究も、超自然的制裁への信念と協力を結びつける先行研究を認めつつ、その頑健性や因果方向には未解決の論点があると整理している。

この問題は重要である。人口増加、農業余剰、戦争、交易、都市化によって集団規模が拡大し、その後で官僚制、宗教、法、身分秩序が整備された可能性もある。逆に、共通規範や宗教的権威が協力範囲を広げ、より大きな政治単位を成立させた可能性もある。実際には両方向のフィードバックだったと考えるほうが自然である。

物語だけでは協力は維持できない

共有された物語は、人々に「なぜ従うべきか」を説明できる。しかし、協力を持続させるには、「従わない者をどうするか」「負担と利益をどう配分するか」という制度設計が必要になる。

国家を信じているだけでは徴税は成立しない。税法、行政組織、記録、監査、制裁がいる。貨幣を信じているだけでは市場は安定しない。契約執行、所有権、信用制度、決済インフラがいる。企業理念を共有しているだけでは巨大企業は動かない。権限配分、会計、評価、雇用契約、情報システムが必要である。

したがって、共有された虚構は「協力を可能にする条件」の一つではあっても、それだけで十分条件になるわけではない。むしろ大規模協力は、共有意味、制度、インセンティブ、監視、制裁、技術、物質的基盤の組み合わせによって成立すると考えるべきだろう。

それでもハラリの主張が重要な理由

この主張の価値は、大規模社会を自然なものとして見ないよう促す点にある。紙幣そのもの、会社名、国境線、役職名に物理的な魔力があるわけではない。それらに人々が共通の意味を与え、他者も同じ意味づけをすると期待し、その期待に基づいて行動するから制度は作動する。

この視点に立つと、「虚構」は現実の反対語ではなく、社会的現実を組織する装置として読める。そこでは信念の内容が真実かどうかだけでなく、誰がそれを共有し、どんな行動を可能にし、どの制度がそれを支え、異議を唱える者に何が起きるかが問題になる。

同時に、共有された物語は協力だけでなく排除も可能にする。国民という想像された共同性は巨大な公共財を支えることがある一方、境界の外側にいる人を差別する根拠にもなりうる。宗教的共同体は相互扶助を強めうるが、異教徒との境界を強める場合もある。つまり、共有性そのものは道徳的善ではない。協力の範囲を拡張する力と、誰をその範囲から外すかを決める力は表裏一体である。

研究上は「魅力的な総合仮説」として読むべきだ

現在の研究状況から見れば、「共有信念・規範・制度が人間の大規模協力に重要である」という弱い命題には幅広い支持がある。一方で、「共有された虚構を語る能力が、ある時点で生じ、それが大規模協力を可能にしてサピエンスの優位を決定した」という強い命題は、単一の実験や考古学的証拠で確立された事実とは言いにくい。

狩猟採集民の物語伝承と協力の関係を調べた研究では、熟練した語り手がいる集団で協力が強いという結果が示され、物語が協力規範の伝達に役立つ可能性が論じられている。 しかし、これは物語一般が大規模文明を生んだことの証明ではない。歴史的な因果を検証するには、認知能力、言語、人口密度、技術、戦争、交易、制度形成などを切り分けなければならない。

最も実りある読み方は、ハラリの命題を「説明の最終回答」ではなく、社会を見るための強力な仮説として扱うことだろう。大規模協力にはなぜ共有物語が必要なのか。共有物語だけでは何が足りないのか。制度は物語を生むのか、物語が制度を生むのか。そして、協力を支える物語が正当性を失ったとき、社会はどこまで維持できるのか。

この問いを開いたことに、この主張の最大の価値がある。

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