書籍批評図書館

comparison

ファクトフルネスとよりよい天使たちは世界改善をどう測るか

ファクトフルネスとよりよい天使たちは世界改善をどう測るかをめぐる批評・深掘り記事。

「世界はよくなっている」という命題は、何を測れば証明できるのか

「世界は昔よりよくなったのか」という問いは、単純そうに見えて難しい。平均寿命が延びても格差が拡大していれば、それを改善と呼べるのか。戦争による死亡率が低下しても、一度の戦争で殺せる人数が増えているなら、安全になったと言えるのか。さらに、現在の状態が依然として深刻であることと、過去より改善していることは両立する。

ハンス・ロスリングらの『ファクトフルネス』とスティーブン・ピンカーの『暴力の人類史』として邦訳された *The Better Angels of Our Nature* は、この問題に似た入口から入る。両書とも、ニュースや印象だけで世界を判断すると、長期的な改善を見落としやすいと考える。ロスリングらは貧困、健康、教育など幅広い指標を用い、ピンカーは殺人や戦争など「暴力」に焦点を絞って長期変化を追う。

しかし、両書の重要な違いは、改善を示す指標の数ではない。『ファクトフルネス』が主として「私たちは世界をどう誤認するのか」を問う本なのに対し、『よりよい天使たち』は「なぜ暴力が減少したのか」という歴史的因果関係にまで踏み込む。そのため、前者の弱点は指標の選択に現れやすく、後者の弱点は長期データの比較可能性と因果説明に現れやすい。

共通する前提――事件ではなく比率と推移を見る

二冊が共有している最大の前提は、世界の状態を「目立つ事件の数」だけで判断してはいけないということだ。

航空事故、テロ、戦争、感染症などの出来事はニュースになる。一方、ある国で今年も子どもの死亡率が少し下がったことや、何百万人もの人が昨日と同じように暴力に遭わず一日を終えたことはニュースになりにくい。劇的な悪化は出来事として可視化されるが、緩慢な改善は統計を取らなければ見えない。

『ファクトフルネス』は、こうした認識の偏りを「ネガティブ本能」など複数の思考傾向として整理する。そして重要なのが、「悪い」と「改善している」を対立させないことだ。現在なお多くの人が貧困や病気に苦しんでいるとしても、過去よりその割合が減っている可能性はある。ロスリングらが強調するのは、この「bad and better」を同時に認識する姿勢である。

ピンカーも似た操作を行う。たとえば戦争の死者数だけでなく、人口に占める暴力死の割合を重視する。人口100万人の社会で1万人が殺される場合と、人口10億人の社会で1万人が殺される場合を、社会における暴力の危険度として同じものとは扱わない。ピンカー自身も、暴力減少という主張が人口比での比較に依存することを明示している。

ここでは両書とも、「ニュースの量」から「母数を伴った統計」へ、「現在の惨状」から「時間方向の変化」へ視点を移している。

方法の違い――診断するロスリング、説明するピンカー

ただし、統計を使う目的はかなり違う。

『ファクトフルネス』では、クイズが重要な役割を持つ。世界の人口、教育、健康、貧困などについて質問し、人々の直感が現実とどれほどずれているかを示す。そのうえで、世界を「先進国/途上国」という二分法だけで捉えることなどを問題視し、より連続的な発展段階を見るよう促す。Gapminderは書中の数値について詳細な出典資料も公開している。

つまり統計は、巨大な歴史理論を証明するためというより、読者の世界像を校正するために使われる。『ファクトフルネス』の中心的な対象は、世界そのものと同時に、それを見る人間の認知である。

対して『よりよい天使たち』は、はるかに野心的だ。近代の殺人率だけでなく、戦争、集団虐殺、刑罰、その他さまざまな暴力を長い時間軸に並べ、その減少傾向を論じる。そして国家による暴力の統制、交易や相互依存、他者への共感の拡大、理性的な問題解決など、暴力を抑制したと考えられる歴史的・心理的要因を提示する。ピンカーは後の批判への応答でも、国家形成だけを唯一の原因としているわけではなく、複数の過程を組み合わせた説明であると強調している。

したがって証明しようとしている命題の強さが違う。『ファクトフルネス』は「あなたが想像するより改善している指標が多数存在する」と示せば目的のかなりの部分を達成できる。ピンカーはさらに、「暴力の長期的減少」という大きなパターンが実在し、それを説明する歴史的メカニズムがあることまで論証しなければならない。

証拠の弱点も異なる

この違いは批判のされ方にも表れている。

『ファクトフルネス』への有力な疑問は、「選ばれた指標そのものが楽観的方向に偏っていないか」というものだ。Oxfamのダンカン・グリーンは好意的に評価しつつ、書中の多数のグラフが改善方向の事例に偏っていると批判した。

これは重要な問題である。平均寿命、乳幼児死亡率、教育、極度の貧困などが改善したという事実から、「世界全体があらゆる意味で改善した」という結論が自動的に導かれるわけではない。気候、生物多様性、資源利用、富や権力の分配といった別の尺度を採用すれば、評価は異なりうる。

ただし、この批判だけで『ファクトフルネス』の中心命題が崩れるわけでもない。同書は本来、「問題はなくなった」と主張するものではなく、悪い状態と改善傾向を区別せよと要求する本だからである。批判すべきなのは改善という事実そのものより、どの改善を世界全体の代表として選ぶかという編集上・価値判断上の問題だろう。

『よりよい天使たち』の場合、問題はさらに技術的になる。近代の殺人統計と違い、先史時代については完全な人口統計も犯罪統計も存在しない。考古学的遺物などから暴力死の程度を推定する必要があり、どの集団を標本として採用するかで数字が変わりうる。先史時代の事例選択が代表的ではないのではないかという批判は、ピンカーの議論をめぐる主要な論争点の一つになった。

また、「絶対数と人口比のどちらを重要視するか」という規範的問題も残る。個人が暴力で死亡する確率を測るなら人口比は自然だが、大規模戦争が文明全体に与える破壊力や、一度の政治判断で生じうる被害の最大規模を問題にするなら、絶対数にも意味がある。ピンカーの測定法は間違いというより、何を「暴力の程度」と呼ぶかについて一つの選択を行っているのである。

二冊を組み合わせると何が見えるか

興味深いのは、両書を合わせると、それぞれの過剰な一般化を抑えられることだ。

『ファクトフルネス』の最大の教訓の一つは、巨大な一つの物語で世界を説明しないことである。この姿勢をピンカーに適用すれば、「近代化すれば必然的に平和になる」という単純な進歩史観として読むべきではないと分かる。暴力が減少した時期や地域があるなら、どの制度、どの社会条件、どの種類の暴力について成立しているのかを分解して検討する必要がある。

逆にピンカーは、『ファクトフルネス』に不足しがちな問いを突きつける。指標が改善したことを確認したあとに、「なぜ改善したのか」を問うことである。乳幼児死亡率が下がった、教育期間が延びた、暴力死が減ったという時系列だけでは、将来も改善が続くとは言えない。原因が分からなければ、改善を生んだ制度を維持すべきなのか、別の政策へ変更してよいのかも判断できない。

ロスリングが測定の入口を教え、ピンカーが因果説明の難しさを示す、と考えると両書の関係は分かりやすい。

読むなら『ファクトフルネス』を先にしたい

読む順番としては、『ファクトフルネス』から『よりよい天使たち』へ進む方がよい。

理由は、前者が統計を見る際の基本動作を身につける本だからである。絶対数と割合を区別する。現在の水準と変化率を区別する。極端な事例から全体を推測しない。二分法を疑う。悪化している事実と改善している事実を同時に認める。

この読み方を身につけてからピンカーを読むと、その大量のデータを「世界は平和になったらしい」という一行に還元せずに済む。どの時代からどの時代への比較なのか。殺人と戦争を同じ「暴力」としてまとめてよいのか。絶対数か人口比か。観測可能な地域に偏っていないか。傾向の確認と原因の説明が混ざっていないか。こうした問いを維持できる。

逆の順番では、ピンカーの巨大な歴史物語そのものに魅了され、統計が物語を検証する道具なのか、物語に合う統計が選ばれているのかを見分けにくくなる可能性がある。

最後に残るのは「改善」の定義である

二冊を読んでも最終的には解決しない問題がある。

世界改善を測定するには、先に「何を改善と呼ぶか」を決めなければならない。

長寿、所得、教育、安全は比較的測定しやすい。しかし自由、孤独、尊厳、公平、将来世代の利益、生態系の健全性を同じ尺度にまとめることは難しい。平均値が改善しても、一部の集団だけが悪化しているかもしれない。さらに過去100年間の改善が、今後100年間も持続可能だという保証はない。

だから『ファクトフルネス』と『よりよい天使たち』から導かれる最も慎重な結論は、「世界はよくなった」でも「世界は悪くなった」でもない。

より重要なのは、**どの指標が、誰にとって、どの期間に、どれほど改善したのかを問うこと**である。そして改善が確認できたなら、次にはその原因と持続可能性を調べなければならない。

二冊が強く否定するのは悲観主義そのものというより、測定を経ずに結論を決める態度だろう。同時に、二冊への批判が教えるのは、数字を使えば価値判断から自由になれるわけではないということでもある。

世界を測るには統計が必要である。しかし、どの統計を世界の代表とみなすかを決める瞬間、そこにはすでに「よりよい世界とは何か」という問いが入り込んでいる。

関連するentity