発展の差は「どこにあるか」で決まるのか、「どんな制度を持つか」で決まるのか
なぜ、ある社会は豊かになり、別の社会は長く停滞するのか。この問いに対する代表的な二つの答えが、地理を重視する説明と制度を重視する説明である。
ここでは地理論の代表としてジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』、制度論の代表としてダロン・アセモグルとジェイムズ・A・ロビンソン『国家はなぜ衰退するのか』を比較する。前者は、ユーラシア大陸が家畜化可能な動植物、東西方向に広がる大陸軸、技術や作物が伝播しやすい条件などを備えていたことに注目する。後者は、政治権力と経済的機会が広く分散する「包摂的制度」と、一部の集団が富と権力を吸い上げる「収奪的制度」の違いを中心に発展を説明する。
両者はしばしば対立する理論として読まれる。しかし重要なのは、どちらが単独で正しいかを決めることではない。二冊が説明しようとしている時間尺度と因果関係の位置が異なることを理解すると、むしろ両者が異なる部分を説明していることが見えてくる。
二冊が共有している前提
一見すると正反対の二冊だが、共通点も大きい。
第一に、どちらも「ある民族が本質的に優秀だったから豊かになった」という人種的・文化的本質論を退けようとしている。ダイアモンドは、ユーラシアの人々が生物学的に優れていたから銃や鉄を獲得したのではなく、利用可能な動植物や大陸の形状などの条件が異なっていたと論じる。一方、アセモグルとロビンソンも、国民性や宗教だけで長期的繁栄を説明することに懐疑的であり、政治制度と権力配分に焦点を移す。
第二に、現在の所得差を単なる現在の政策差として扱わない。今日の豊かな国と貧しい国の差は、数十年よりも長い歴史的過程の結果だと考える点で一致している。
したがって本当の対立は、「歴史が重要かどうか」ではない。「歴史のどの段階に、最も重要な因果要因を置くべきか」である。
地理論は長い時間を説明する
『銃・病原菌・鉄』の最大の強みは、非常に長い時間軸を扱えることである。
農耕開始以前の世界では、議会制度、所有権制度、中央銀行といった近代的制度は存在しない。それでも地域によって農耕の成立時期、人口密度、都市化、文字、金属器、国家形成の時期には大きな差が生じた。
ダイアモンドは、この早期の差を環境条件から説明しようとする。家畜化しやすい大型哺乳類や栽培可能な植物が多かった地域では食料生産が拡大しやすい。食料余剰が増えれば、人口密度を高め、農業以外の専門職を維持できる。さらに家畜との長期間の接触は感染症への免疫形成とも関係し、後世の征服にも影響したとされる。
この説明の魅力は、征服者が持っていた銃や鉄だけを見ず、「なぜそちら側が先に銃や鉄を持つことになったのか」と問いを一段階さかのぼらせる点にある。
ただし、この長期的説明力は同時に限界でもある。
同じような地理条件を持つ地域が、その後まったく異なる政治制度や経済成果を示す場合、地理だけでは説明が粗くなる。地理は数千年単位の初期条件を説明するには強いが、数十年から数百年の間に起こる急激な分岐を説明するには追加の変数が必要になる。
制度論は分岐を説明する
『国家はなぜ衰退するのか』が強いのは、まさにこの「近接した社会がなぜ分岐するのか」という問題である。
著者たちが重視するのは、技術革新や投資から得られる利益を多くの人が享受できる制度が存在するかどうかである。所有権がある程度保障され、職業選択や企業活動への参入が開かれ、政治権力も特定集団だけに集中しない社会では、人々が投資や革新を行う誘因が生まれやすい。
反対に、権力者が他者の成果を容易に奪える社会では、新しい事業や技術へ投資する誘因が弱くなる。さらに既存エリートは、自らの地位を脅かす技術や産業を阻止することさえある。
この理論は、ほぼ同じ地理的条件を持ちながら異なる制度の下に置かれた地域を比較するとき、とりわけ説得力を持つ。地理的な差が小さいのに所得や産業構造が大きく異なるなら、地理だけでは十分ではなく、政治制度や歴史的経路を考える必要がある。
しかし制度論にも問題がある。「成功した国には包摂的制度があった」と事後的に分類するだけなら、繁栄の原因を繁栄した制度によって説明する循環論法に近づく危険がある。
さらに、制度そのものがなぜ成立したのかという問題も残る。ある地域では権力が分散し、別の地域では集中したのはなぜなのか。制度を究極原因として置くだけでは、その制度を生み出したさらに前の条件が説明されない。
両者が使う証拠は異なる
二冊の違いは結論だけではなく、証拠の使い方にもある。
ダイアモンドは考古学、生態学、植物学、感染症史、言語分布などを横断し、人類史の巨大なパターンを説明する。そのため扱える時間と地域は広いが、個々の歴史的出来事について因果関係を厳密に特定することは難しい。
アセモグルとロビンソンは、それより狭い歴史的比較を多く利用する。似た条件の社会が異なる制度の下で分岐した事例を重視することで、地理や文化をある程度固定し、制度の影響を見ようとする。
つまり、ダイアモンドは「世界史全体に見える大きな傾向」を説明することに優れ、アセモグルとロビンソンは「ある時点から二つの社会がなぜ違う方向へ進んだのか」を説明することに優れている。
ここで証拠の尺度と理論の尺度を混同してはいけない。数千年単位の理論に、数十年間の反例を一つ示しただけで全面的な反証にはならない。反対に、古代の地理条件を示しただけでは、近現代の制度変化による逆転を説明したことにもならない。
制度論は地理論の弱点を補える
両者を組み合わせるなら、一つの自然な因果連鎖を考えることができる。
地理的条件は、農耕、人口密度、疾病環境、交易路、国家形成などに影響する。それらはさらに政治権力の集中度や社会集団間の力関係に影響し、特定の制度が形成される可能性を変える。そして成立した制度が、その後の技術革新、人的資本形成、企業活動、資本蓄積を左右する。
この見方なら、地理は「最終的にすべてを決定する運命」ではなく、制度が形成される以前から存在する条件の一部になる。
一方、制度には一度成立すると独自の持続性がある。支配集団は有利な制度を維持しようとするため、当初は地理条件によって生まれた政治構造が、後には地理から相対的に独立して存続する可能性がある。
したがって、「制度か地理か」という二者択一より、「地理的条件がどの経路を通じて制度に影響し、その制度がいつ地理的制約を上回るのか」と問うほうが有益である。
それでも簡単には統合できない
ただし、二つの理論を単純につなげれば問題が解決するわけではない。
地理から制度への因果関係自体が一方向とは限らない。国家は灌漑、港湾、道路、公衆衛生などを整備し、地理的条件が社会に与える意味を変えることができる。熱帯という同じ自然環境でも、感染症対策や都市インフラの能力によって経済的影響は変化する。
技術も同様である。海から遠いことはかつて巨大な交易上の不利だったとしても、鉄道や航空輸送、通信技術の発達によって不利の大きさは変わる。
つまり「地理」は固定されていても、「地理が経済に及ぼす効果」は固定されていない。
逆方向の問題もある。包摂的制度が望ましいとしても、それだけで必ず急速な発展が生じるわけではない。国際市場へのアクセス、人口規模、資源、教育水準、周辺国との関係、戦争など、多数の要因が結果を左右する。
制度論が地理決定論を修正するように、地理論も制度万能論を修正するのである。
読むなら『銃・病原菌・鉄』から始めたい
二冊を続けて読むなら、『銃・病原菌・鉄』を先に読むほうが比較の構造を理解しやすい。
ダイアモンドは問いを極端に長い時間軸へ広げ、「なぜ世界の地域差がそもそも生まれたのか」を考えさせる。その後で『国家はなぜ衰退するのか』を読むと、「その説明では近代以降の分岐を十分に説明できない」という制度論側の批判が明確になる。
逆の順序では、豊かさを制度によって説明する枠組みが先に定着し、制度そのものの起源を問わずに済ませてしまう可能性がある。
ただし後者を読み終えた後には、もう一度ダイアモンドの問いへ戻る必要がある。「では、包摂的制度を形成できる社会とできない社会の違いは、どこから生じたのか」という問いが残るからである。
最後に残るのは「原因の階層」という問題である
制度論と地理論の論争から得られる最も重要な教訓は、発展には異なる階層の原因が存在するということである。
地理は遠い原因を説明しやすい。制度は近い原因を説明しやすい。しかし遠い原因だけでは具体的な歴史の分岐を説明できず、近い原因だけではその原因自身の成立を説明できない。
そこで残る問いは、「どちらが正しいか」ではない。
ある地域の現在の経済状態を説明するとき、どこまで因果関係をさかのぼるべきなのか。地理から制度へ至る経路にはどれほどの必然性があり、偶然の戦争、政治的選択、技術革新はどこで流れを変えられるのか。そして不利な初期条件を持つ国は、制度改革によってどこまで過去から離脱できるのか。
『銃・病原菌・鉄』は、人類史に存在した巨大な初期条件の差を無視する危険を教える。『国家はなぜ衰退するのか』は、その初期条件を運命とみなす危険を教える。
二冊を対立する回答として読むより、一方が因果関係を過去へ延ばし、もう一方が歴史の途中で生じる分岐を拡大して見る本として読む。そのとき、発展差という問題は「単一の原因を探す作業」から、「異なる時間尺度の原因がどう接続しているかを解明する作業」へと変わる。